なまらなんくるないさ



■■■ 2020.7.17 ■■■
#1261 初盆の旅 1

初盆をいつにしようかと、少し悩んだものの、
諸般の状況も考慮をして、7月に行うことにしました。
山梨へ向かうのは、2ヶ月ぶりです。

四十九日に訪れた時は、富士山を拝めましたが、
この日は雲が垂れこめて、低い山ですら頂上が見えません。
しかし、雨で蒸し暑いという予報に反して、
夕方まで降らずに、気温も23℃までしか上がらず、
スーツにネクタイという正装でも、丁度よい感じでした。
天気の神様に、父がお願いをしてくれたのかもしれません。


 撮影地 : 山梨県 大月
写真をクリックすると拡大します



■■■ 2020.7.18 ■■■
#1262 初盆の旅 2

5月に乗車をした特急かいじは、外出を控えている人が多いためか、
自分の車両には、乗客がひとりしかいませんでした。
今回はそれほどではないものの、数人程度でがらがらです。

大月駅で乗り換えた富士急行線も、同じような状況です。
外国からの観光客がまるでいなくなり、地元の人たちがほとんどなので、
ローカル線の雰囲気を味わいながら、旅ができました。

旧国鉄色のようなシンプルな車両が、個人的には好みですが、
その場所でしか見られない塗装を見ると、つい写してしまいます。


 撮影地 : 山梨県 三つ峠
写真をクリックすると拡大します



■■■ 2020.7.20 ■■■
#1263 初盆の旅 3

救急車で運ばれる前、1杯だけビールが欲しいと言われたのに、
叶えてあげられずに、父は天に召されてしまいました。

この日は、いまさらながらですが、
好きな銘柄であるサッポロ黒ラベルを、お供え物に用意をして、
ひと口だけ先にいただいて、あとは納骨室のあたりに注いであげました。
缶が生温かいので、開けるとすぐに泡が吹き出します。

今回は1本しかありませんが、次は多めに買うようにして、
いろいろな話をしながら、一緒に飲むつもりです。


 撮影地 : 山梨県 十日市場
写真をクリックすると拡大します



■■■ 2020.7.21 ■■■
#1264 初盆の旅 4

かつての本家が、菩提寺の前にあります。
築百数十年の大きな民家ですが、いまは誰も住んでいません。

外資企業の役員が、自社の保養所にするために購入をしたそうですが、
リノベーションをされた様子もなくて、放置されています。
インターネットで調べてみると、売りに出されているようなので、
その方も、もう手放されたのかもしれません。

自分の本籍地でもある家屋が、荒れ果てていると、
暮らしたことはない場所ですが、複雑な気持ちがするものです。


 撮影地 : 山梨県 三つ峠
写真をクリックすると拡大します



■■■ 2020.7.23 ■■■
#1265 本来であれば

所用があり、築地まで行きました。
いままでに、仕事では幾度となく訪れていますが、
市場まで足を延ばしたことは、一度もありません。
今回は時間があるので、初めて場外を歩いてみました。

本来であれば、オリンピックが始まるので、
世界各国から訪れる人たちで、大賑わいをしている時期です。
しかし、外国人の姿はひとりもいなくて、
日本の観光客ですら、ちらりほらりといる程度でした。
テレビでよく見ていた混み合う風景が、まるで嘘のようです。


 撮影地 : 東京都 築地
写真をクリックすると拡大します



■■■ 2020.7.24 ■■■
#1266 丸4年になりますが

運動不足の解消も兼ねて、さらに築地から有楽町へと足を延ばしました。
しばらく前までは、人にぶつからないように歩いていた銀座も、
驚くほどにすいていて、すいすいと進むことができます。
混んでいるところが苦手なので、いまくらいのほうが落ち着くのですが、
商売をする立場からすれば、この状況では厳しいのかもしれません。

いつものように、GX7 MarkⅡでスナップをしましたが、
カーソルボタンやモードダイヤルなどの操作系が、個人的には馴染めなくて、
使い続けて丸4年になりますが、いまだになかなか慣れません。
カメラの大きさは丁度よいのに、残念なことです。


 撮影地 : 東京都 銀座
写真をクリックすると拡大します



■■■ 2020.7.26 ■■■
#1267 ぶれやすい速度

かつてカラーフィルムで撮影をする時には、かなりの頻度で三脚を使いましたが、
いまは手ぶれ補正がついているので、すべてを手持ちで写しています。
技術の進歩の恩恵にあずかるというと、聞こえがよいのですが、
単なる無精ではないかと指摘をされれば、その通りかもしれません。

#1263の写真は、ズームレンズで構図を決めてから、
水が落ちる感じを表現するために、4分の1秒に設定をして、
橋の欄干に左肘をついて、静かにレリーズをしました。
8分の1秒の前後は、カメラを雲台に固定をしてもぶれることがあるので、
できるのであれば、あまり使いたくないシャッタースピードです。


 撮影地 : 北海道 上富良野
写真をクリックすると拡大します



■■■ 2020.7.28 ■■■
#1268 記憶に残るヒット

全国でもトップクラスの少年野球チームに、広告のモデルとして出ていただいた時のことです。
撮影の終了後に1打席いかがですかと言われて、受けて立ちました。
子供の頃は控え選手のさらに補欠として活躍をしていたので、それなりに腕に覚えはありますが、
相手のエースの球は目の前で消えてしまい、たちまちのうちに三振を喫しました。
お願いをしてリベンジをしたものの、またも3回ともにバットは空を切ります。
最後に泣きの1回ということになり、その初球を思い切り振り抜くと、
糸を引くようなライナーが、センター前へと飛びました。
ピッチャーは考えた末に、ど真ん中に棒球を投げてくれたに違いありません。
グラウンドの9人と監督さんに向かい、ヘルメットを脱いで一礼をして終了です。
自分の草野球人生の最終打席は、小学生の忖度によるヒットでした。


 撮影地 : 東京都 西新宿
写真をクリックすると拡大します



■■■ 2020.7.30 ■■■
#1269 ぶらぶらとしていた頃

#1268の場所は、現在の東京都庁があるあたりです。
しばらくは空き地で、野球場として使われていました。

学校のある中野から新宿まで、高校生の頃はよく歩いていました。
まだカメラを手にしていなくて、うろついていただけです。
もしかすると、流行りの自分探しをしていたのかもしれません。

途中には、歴史を感じる古い家屋が数多くありました。
たらればは意味がないのは承知ですが、その当時から撮影をしていたらと残念です。
森山大道さんが仰るように、写真は光と時間の化石なのだと思います。


 撮影地 : 東京都 新宿
写真をクリックすると拡大します



■■■ 2020.8.2 ■■■
#1270 金釘流

父の知人からお悔みをいただき、返信をしないといけませんが、
俳句をされている方々ばかりなので、皆さんとても達筆です。
こちらは金釘流の元祖のようで、お世辞にも褒められたものではないので悩みます。
日ペンの美子という人に、若い頃に教えを受けていればと悔やまれますが、
当時はそのようなことは気にせずに生きていたので、いまさらどうしようもないのです。

手紙にして送るには、あまりにも稚拙な文字しか書けないので、
仕事の時にはパソコンに頼りましたが、私的なものはできるだけ手書きにしています。
上手いか下手かということも、もちろん大切には違いありませんが、
肉筆にしたほうが、感情が伝わりやすい気がするのです。


 撮影地 : 茨城県 玉造町
写真をクリックすると拡大します



トップページはこちら  「なまらなんくるないさ」掲載一覧はこちら  前のページはこちら  次のページはこちら