全国でもトップクラスの少年野球チームに、広告のモデルとして出ていただいた時のことです。
撮影の終了後に1打席いかがですかと言われて、受けて立ちました。
子供の頃は控え選手のさらに補欠として活躍をしていたので、それなりに腕に覚えはありますが、
相手のエースの球は目の前で消えてしまい、たちまちのうちに三振を喫しました。
お願いをしてリベンジをしたものの、またも3回ともにバットは空を切ります。
最後に泣きの1回ということになり、その初球を思い切り振り抜くと、
糸を引くようなライナーが、センター前へと飛びました。
ピッチャーは考えた末に、ど真ん中に棒球を投げてくれたに違いありません。
グラウンドの9人と監督さんに向かい、ヘルメットを脱いで一礼をして終了です。
自分の草野球人生の最終打席は、小学生の忖度によるヒットでした。
![](n1268S1.jpg)
撮影地 : 東京都 西新宿
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#1269 ぶらぶらとしていた頃
#1268の場所は、現在の東京都庁があるあたりです。
しばらくは空き地で、野球場として使われていました。
学校のある中野から新宿まで、高校生の頃はよく歩いていました。
まだカメラを手にしていなくて、うろついていただけです。
もしかすると、流行りの自分探しをしていたのかもしれません。
途中には、歴史を感じる古い家屋が数多くありました。
たらればは意味がないのは承知ですが、その当時から撮影をしていたらと残念です。
森山大道さんが仰るように、写真は光と時間の化石なのだと思います。
![](n1269S.jpg)
撮影地 : 東京都 新宿
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#1270 金釘流
父の知人からお悔みをいただき、返信をしないといけませんが、
俳句をされている方々ばかりなので、皆さんとても達筆です。
こちらは金釘流の元祖のようで、お世辞にも褒められたものではないので悩みます。
日ペンの美子という人に、若い頃に教えを受けていればと悔やまれますが、
当時はそのようなことは気にせずに生きていたので、いまさらどうしようもないのです。
手紙にして送るには、あまりにも稚拙な文字しか書けないので、
仕事の時にはパソコンに頼りましたが、私的なものはできるだけ手書きにしています。
上手いか下手かということも、もちろん大切には違いありませんが、
肉筆にしたほうが、感情が伝わりやすい気がするのです。
![](n1270S.jpg)
撮影地 : 茨城県 玉造町
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